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中東/ヨーロッパ/中国/日本での印鑑の歴史

公開日 更新日

印鑑の歴史はとても古いですが、こちらのページでは、 印鑑が発祥した地や、印鑑が世界の中で、 どのように使われてきたのかなどについて解説しています。

【目次】

印鑑の歴史1.中東

中東
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印鑑の発祥

原始的な印鑑は、中東の遺跡(紀元前7000年頃~紀元前6000年頃)で発掘されています。

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古代メソポタミア

メソポタミア文明

紀元前5000年頃には、印鑑が古代メソポタミアで使われていたそうです。
メソポタミア文明は、世界最古の文明と言われています。
最初は、スタンプ型の印鑑が使われていましたが、 後に円筒形をした印鑑が登場しました。

円筒形をした印鑑

(出典元:https://ja.wikipedia.org/wiki/印章)

円筒形の印鑑は、円筒の外周部分に、 文字や絵が刻まれていますが、円筒を粘土板に転がして使うものでした。
当時、印鑑を持っていた者は有力者で、印鑑に紐を通して首に掛けていたそうです。
当時の印鑑の材質は、骨や石や宝石などでした。
当時の印鑑は、権力や富の象徴でもあったようです。
中東で生まれた印鑑は、西はヨーロッパ、東は中国など、 世界各地に広まりました。

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古代エジプト

紀元前3000年頃には、古代エジプトで、 ヒエログリフ(神聖文字)が刻まれた宗教性を持つスカラベ(甲虫)型の印鑑が使われました。

スカラベ型の印鑑

この頃から、印鑑は、認証、封印、権力の象徴などの目的で使われました。
また、ツタンカーメン(紀元前1300年代)の遺跡に、 神像やヒエログリフが刻まれたスカラベ型の印鑑が、 多数残されています。

印鑑の歴史2.ヨーロッパ

ヨーロッパ
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ミノア文明

ミノア文明

ミノア文明は、エーゲ文明の中で、クレタ島で栄えた文明です。
ミノア文明(紀元前2000年頃~紀元前1370年頃)では、 プリズム型やガラのある円形や楕円形の印鑑が使われました。
当時、印鑑は護符(神仏の加護のこもっているという札)として使われていたそうです。

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ミケーネ文明

ミケーネ文明

ミケーネ文明は、エーゲ文明の中で、 ペロポネソス半島のミケーネを中心に栄えた文明です。
ミケーネ文明(紀元前1600年頃~紀元前1200年頃)は、ミノア文明を継承しましたが、 ミケーネ文明では、指輪型の印鑑が使われるようになりました。
しかし、ミケーネ文明が滅びると、印鑑を使う習慣が途絶えました。

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古代ギリシャ

紀元前800年頃から、古代ギリシャ文明が急速に発達しましが、 この頃の古代ギリシャでは、家の扉や貴重品などの封印として、 再度指輪型の印鑑が使われ始めました。
その後、アレクサンドロス大王の東方遠征の頃から、 金や銀や宝石を使った豪華な装飾の指輪型の印鑑が使われるようになりました。

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古代ローマ

古代ローマ時代(紀元前753年~紀元後1453年)は、肖像画の刻まれた指輪型印鑑が使われ、 また財産や食料を印鑑で封印する習慣ができました。
また、古代ローマ時代には、文章の確認のために、 印鑑が使われ始めたことを示すような痕跡がみられるようになります。
その後、西ローマ帝国が滅亡(紀元後480年)すると、 ヨーロッパで印鑑を使う習慣が、再び途絶えました。

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紀元後700年からのヨーロッパ

紀元後700年頃のヨーロッパでは、支配階級の認字率が低いことから、 署名の代わりに印鑑が使われました。
カロリング朝の王族は、古代ギリシャや古代ローマの印鑑を使っていました。
また、神聖ローマ帝国の皇帝は、自身の肖像画を刻んだ印鑑を使いました。

紀元後1000年頃からは、貴族は家紋を刻んだ印鑑を使うようになりました。

1200年代後半からは、王侯や貴族、聖職者などの一部の人々だけではなくて、 一般市民にも印鑑が広まりました。
ヨーロッパで印鑑が最も普及したのが、1300年頃から1500年頃でした。

1400年代末になると、 紋章の周囲にラテン語の文字が刻まれた印鑑が使われるようになりました。
また、一般市民は簡単な模様や姓名の頭文字を刻んだ印鑑が使われました。
また、ヨーロッパでは1400年頃から、認字率の向上や人文主義の影響により、 サインが使われ始めました。

1800年代になると、ヨーロッパでは、 印鑑があまり使われなくなり、ほとんどサインが使われるようになります。
しかし、貴族階級では中世から、 家紋を刻んだ印鑑を封蝋として使う習慣がありましたが、 第1次世界大戦により、貴族階級が没落すると、 その習慣がなくなりました。
現代のヨーロッパでは、印鑑を押す制度や習慣は、 ほとんど残っていません。
また、現代のヨーロッパでは、印鑑は一部の外交文書やパスポート、 免許証、身分証明書など、限定的にしか使われていません。

印鑑の歴史3.中国

中国
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殷時代

殷(いん)時代(紀元前17世紀頃~紀元前1046年)に、 青銅で作られた印鑑が、3つ発見されています。

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周時代

周時代(紀元前1046年~紀元前256年)のうち、 東周時代(紀元前771年~紀元前256年)の鋳造印などが、 多数発掘されています。
当時は、印鑑の事を「じ(今日の璽(じ))」と呼んでいました。

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戦国時代

戦国時代(紀元前403年~紀元前221年頃)に、 文章や物品の封泥(古代の中国において、 文書類や容器を封じる際に掛けた紐に泥を塗り、 その上に捺印したもの)のために、印鑑が使われていました。

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秦時代・漢時代

秦(紀元前771年~紀元前206年)の始皇帝は、 文字の統一をしましたが、 その統一された文字が篆書体(てんしょたい)で、篆書体が印鑑に使われました。
始皇帝により、印鑑の制度が確立しました。
印鑑の制度が整備されて、印鑑は権力を示す象徴ともなりました。

漢(紀元前206年~紀元後220年)の時代には、印鑑が広く使われるようになります。
皇帝から官吏や将軍に印鑑が授けられたり、 諸国の王に印鑑が贈られました。
その後に、紙が普及するようになり、 印鑑は封泥ではなく、紙に朱泥を押すものへと変化しました。

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隋時代・唐時代

この頃は、公文書などに私印を使うことが少なくなっていました。
しかし、書道などの趣味や芸術で、印鑑が使われるようになりました。
また、この頃に篆書体の他に、 楷書体、行書体、草書体も刻まれるようになりました。
また、この頃は書の発達により、 藏書印(ぞうしょいん)、雅号印(がごういん)が生まれました。

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宋時代・元時代

この頃に、一般市民が私印などを使うようになりました。

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明時代・清時代

この頃には、糸印などが使われるようになり、 日本に多数渡っています。
また、この頃に印鑑を趣味として使う分野が出現しました。
また、芸術として篆刻道が出現しました。
中国の印鑑は、芸術として独自に発展しましたが、 一般庶民には浸透しませんでした。
中国では、印鑑の代わりに署名や別の方法が使われていたそうです。

印鑑の歴史4.日本

日本
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日本最古の印鑑

日本最古の印鑑は、「漢委奴国王(かんのわのなのこくおう)」の金印だと言われています。

漢委奴国王

(出典元:https://ja.wikipedia.org/wiki/漢委奴国王印)

漢委奴国王は、後漢書(東夷列伝)によりますと、 紀元後57年に、後漢(中国)の光武帝が、倭奴国(日本)に授けたと記されています。
漢委奴国王が発見されたのは、江戸時代の1784年の早春で、 場所は福岡県福岡市東区志賀島だとされています。

福岡県福岡市東区志賀島

そこの百姓の勘兵衛が用水路を修理している時に、 大きな板石が出てきました。
それを移動すると、その下に光るものがあり、 3つの石で囲まれていました。
その光るものを水で洗うと、金の印判でした。
現在は、この金印は国宝となり、国立東京博物館に保管されています。
また、この金印は金の純度が95%程で、重量が109g程です。

ところで、漢委奴国王は外国から来た印鑑ですので、 日本で作られたものではありません。
日本で作られた印鑑の中で、日本最古の印鑑と言われているのは、 「大連之印(おおむらじのいん)」の官印です。

大連之印

(出典元:http://www.inshou.or.jp/inshou/common/pdf/textbook.pdf)

大連とは、大臣と並ぶ職名です。
大連之印は、500年代、600年代あたりに作られたと言われています。

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飛鳥時代

日本は、中国に遣隋使(600年~618年)や、 遣唐使(630年~894年)を派遣しましたが、 その中で中国の官印制度などが日本に伝わりました。
そのような中、701年に大宝律令が制定されましたが、 その中で印鑑に関して定められています。
大宝律令により、内印、外印、諸司印などの官印が作られました。
文字の書体は、日本独自の書体である古印体でした。
政府や地方の支配者が印鑑を公の印鑑として、使い始めました。

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奈良時代

私印が奈良時代後期になって、使われるようになりました。
また、758年に恵美押勝(藤原仲麻呂)が、 天皇から「恵美家印」の使用を認められたという記録が、 「続日本紀」に記されています。
当時は、私印の製造・使用は、国家の許可が必要でした。

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平安時代

平安時代の官印・私印

(出典元:http://www.inshou.or.jp/inshou/common/pdf/textbook.pdf)

貴族が私印を使うようになりました。
藤原氏の私印(家印)が多数現存しています。
一般庶民が署名をする場合は、 印鑑は使わずサインや画指(指印)をしていました。
平安時代の中期から末期に、官印がほとんど使われなくなり、 代わりに唐から伝わった花押(かおう)が使われるようになります。

花押

(出典元:http://www.inshou.or.jp/inshou/common/pdf/textbook.pdf)

花押とは、意匠化された署名のことで、書判(かきはん)とも言われます。
花押は、願分や遺言状などに使われていました。
また、花押は後鳥羽上皇以降の天皇が、 公文書で使いました。
花押は、公家、領主、武将などが使いましたが、 一般庶民が署名をする場合は、拇印(爪印、指印)をしていました。

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鎌倉時代

鎌倉時代には、宋(中国)との交易が盛んになりましたが、 それに伴い僧侶や文人が、落款印、筆者印を使うようになりました。
落款印・筆者印

(出典元:http://www.inshou.or.jp/inshou/common/pdf/textbook.pdf)

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室町時代・安土桃山

平安時代の中期から末期に、印鑑がほとんど使われなくなったのですが、 戦国時代には戦国武将は、花押の他に私印を積極的に用いました。
また、戦国武将は印文を工夫した私印を作り、権力や威厳を現したと言われています。
織田信長の「天下布武」の印や、豊臣秀吉の「豊臣」の印、上杉謙信の「地帝妙」の印、 徳川家康の「福徳」の印などがあります。
また、武田氏の竜の印や上杉氏の獅子の印、また北条氏の虎の印などがあります。

戦国武将の私印

(出典元:http://www.inshou.or.jp/inshou/common/pdf/textbook.pdf)

また、1549年にフランシスコ・ザビエルがキリスト教を伝えましたが、 キリシタン大名(大友宗麟、黒田如水、小西行長、細川忠與など)は、 クリスチャンネームをローマ字で刻んだ私印を使いました。

キリシタン大名の私印

(出典元:http://www.inshou.or.jp/inshou/common/pdf/textbook.pdf)

また、戦国時代からポルトガルやオランダなどとの交易が盛んになりましたが、 この頃に角印の他に、丸型や小判型の印鑑が使われるようになりました。
また、この頃に商人が実名印を使うようになりました。
また、それに伴い印判師が現れました。

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江戸時代

江戸時代には、公の書類の他に私文書にも印鑑を押す習慣が広がりました。
また、武士は花押を使いましたが、実印として印判も使いました。
また、江戸時代には、実印を登録するための印鑑帳が作られるようになりましたが、 これが、現在の印鑑登録制度の起源となりました。
江戸時代は、印鑑は財産を守るものとして、 命の次に大切なものと考えるようになり、 日本独自の印鑑文化が確立しました。
また、江戸時代には一般市民に印鑑が広く使われるようになりました。
しかし、一部の人々は印判ではなくて、拇印、手形なども使っていたようです。
また、四代目将軍の徳川家綱の時に、明(みん)より、 篆刻(印鑑を作成すること)の技術が伝わりました。
文人、墨客が篆刻を使いましたが、 江戸時代の中頃に盛んになり、 池永一峯、細川林谷、高芙蓉などの篆刻家が現れます。

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明治時代

明治時代に政府は、印鑑の偏重を悪習と考え、 欧米諸国のように署名制度を導入することを試みましたが、 当時の認字率の低さなどが理由で、失敗に終わりました。
また、明治時代には、官印の制度が急速に整備され、 多くの種類の職官の印鑑が使われるようになりました。
1873年10月1日には、太政官布告が出されましたが、 太政官布告により、実印の制度が定められました。
この日を記念して、10月1日は「印章の日」となり、 毎年記念行事が行われています。

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